理想主義随筆

日々の随筆、散文

イラストを描くまでの手順

イデアというものは、

 

広い空間にいるときに浮かびやすい。

 

そして、狭い空間にいる時は、

 

集中力が増すぶん

 

イデアは浮かばなくなる。

 

人間の心理的にそうなっている。

 

つまり、

 

絵を描こうとして

 

紙に向かっている状態では、

 

イデアは浮かびにくい。

 

なので、

 

イデアなしで紙に向かっていると

 

「描けない」という意識が生まれる。

 

それが続くと

 

描きたくなくなってくる。

 

描くのが億劫になる。

 

しかし、

 

イデアが浮かぶと

 

「はやく描きたい」

 

という感情が生まれる。

 

つまり、

 

まず広い空間でアイデアを出し、

 

かつ

 

「はやく描きたい」

 

という感情を育む。

 

それありきで

 

紙に向かう必要がある。

 

モチベーションを保つには

 

①アイデアを出す

 

②「描きたい」と思う

 

③描く

 

という順番は変えてはいけない。

 

いきなり紙に向かって

 

「描かなきゃ」「でも描けない」

 

という意識がこびりつくと、

 

どんどん絵を描きたくなくなる。

 

まとめると、

 

広い空間でアイデアを出し

 

「それをはやく絵にしたい」

 

という感情を生み出し、

 

狭い空間に移って

 

集中して作画をする。

 

そうすることで、

 

うまくアイデアを出し、

 

絵を描くモチベーションは生む一方で

 

「描けない」という意識を排除し、

 

集中して作品を作る、

 

というプラスの流れができる。

 

とにもかくにも、

 

なんのアイデアもなしに、

 

描きたいという気持ちもなしに、

 

紙に向かってはいけない。

 

最終的には、普段から

 

自然とアイデアが浮かぶくらい

 

絵のことを考えていて、

 

描きたい物がいっぱい、

 

という状態になるのが理想だ。

 

そしたらいつでも紙に向かっていい。

 

インプットの質は、アウトプットをいかに具体的にイメージできるかにかかっている

たとえば筋トレでは、何のために体を鍛えるのか。どこが鍛え足りてなくて、そこを鍛えるにはどういうメニューが必要なのか。

そこまで具体的にアウトプットをイメージできれば、インプット(腕立てなりスクワットなり)が効果的になる。

具体的でないと、漠然と必用のない筋トレメニューをすることになる。

そして、何も形のあるアウトプットは達成されない。

たとえばあるテーマについて文章を書く場合は、具体的にどんな材料が必要なのかを決め、付け焼き刃でいいので効果的に知識・情報をインプットしてまとめればいい。
仕事でのアウトプットで、なにがどのレベルで必要かなどが明確なら、もはやインプットしないで(自分の中を通さないで)外注してアウトプットとしてまとめてもいい。
まったく具体的なイメージは無いが、とにかく何かアウトプットをしたい、という状況で、いままでインプットされてきたものの中で材料を組み合わせてアウトプットをしようとする場合、かなり苦しむ。
漠然とブログを書こうと思っても既存のリソース(いままでのインプット)ではアウトプットを作り出すのには限界がある。
また逆に、漠然と本を読んでも、どの情報が重要かが分からない(決まっていない・決めていない)ので全然身につかない。アウトプットがあってはじめて、情報の重要度の色分けができ、効果的にインプットができる。

たとえばだが、子どもが職業体験をして、その仕事のアウトプットには何が必要なのかを具体的に理解したなら、その後の社会に出るまでの間に効果的にインプットを続けることができ、その職業に就くことは容易となるだろう。

物事をよく観察・分析して興味を持ち、テーマを定め、そのアウトプットに向けて意識的にインプットをすることが重要なのである。
われわれは常に、アウトプットを具体的に決める『主体性』と、編集者的感覚を持たなければならない。

パーキンソンの法則

パーキンソンの法則

パーキンソンの法則とは

第1法則「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」

第2法則「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」

引用元:wikipedia


つまり人間は、与えられたリソースを使い切ってしまうということだ。

仕事で言えば、就業時間で区切ればいいものの、残業をしていたら、いつまでも仕事が終わらなくなるということでもある。

自分を甘やかすと、いくらでも堕落してしまう。

逆に、自分でリソースに制限を設ければ、その中で何とかなってしまうのである。

これはホメオスタシス(恒常性維持機能)の作用で理解ができる。

自分が「これはこのくらいの時間がかかるだろう」と(無意識にでも)思っている時間が、所要時間となる。

自分ができればやりたくないと思っていて、かつ外からも圧力がかからないものは、先延ばし先延ばしになって、いつまでも達成されない。

自分が「これだけお金が必要だ」と思っている金額が手元に入ってくるし、その分、使われる。

外から、「毎月これだけ」と決められていれば、それだけ扱うのが基準となり、それだけ使うことになる。

より大きなお金を扱いたいのであれば、より大きなお金を扱う自分が当たり前だという基準を作れば、より短い時間で価値を生み出すという内側からの制約ができ、ホメオスタシスによって達成される。

 

できるなら、環境を変えて自らに外圧をかけるとよい。

 

ワーキングメモリとマインドフルネス

同時に複数のことを走らせると、能率が下がっていく。
優先度が2番目以降のことは、一度メモに書いて、ひとまず優先度が最も高いことに集中する。
最優先タスクに区切りがついたら、メモを開く。
状況は常に流動的であるから、その時点で必要でなくなっているタスク・打ち手・戦略は潔く捨てる。
ここで、状況が変わっているにも関わらず、前に検討したタスクにこだわると失敗する。
現時点で必要のなくなったタスク、考え、計画は捨てる。
タスクがどんどん溜まっていくと、それが知らず知らずにメモリを圧迫することにもなる。
タスクは状況に合わせて最小限にとどめ、つねにメモリを軽く軽くし、最大のパフォーマンスを発揮させよう。
いちど検討した考えや計画、打ち手をタスクから消すのを恐れてはいけない。
メモに残しておかなくても、もし必要となれば自然と出てくる。自分の頭を信じてやらないといけない。
忘れるようなことは、どちらにしても打ち手として最適ではない。本気で最善の打ち手を考えた時、その打ち手が適しているのであれば自然と思い出す。
マインドフルネスで言う「いまこの瞬間を全力で生きる」というのも、同じことだ。
いまできることは一つ。
最優先事項を見極め、最高のパフォーマンスで取り組む。
そして次は、次の状況において最善のタスクに全力で取り組む。
メモリが軽くパフォーマンスを最大にした状態で、一つ一つこなしていくのである。
複数のことを同時に走らせると、メモリが重くなり、どれも思うように進まない。
それぞれの速度が下がる。
そうする間に状況が変わり、しかしタスクが完了しないから、最適でないにも関わらず再検討する余裕もなく、ずるずると無駄な作業をすることになる。
その場合、必ず結果が出ない。
メモリは有限、体も有限、時間も有限。
いまできる最善のことに、その瞬間、すべてのメモリを費やそう。
どうしても最優先事項が途中で変わった場合は、一時停止保存をして、一度落とす。
開いておかない。
アプリケーションで言えば、プログラムを終了させる。
それで、新たな最優先事項をこなす。
その後、状況によっては、一時停止させていたタスクが必要でなくなる場合もある。
そういう場合は、やはりこだわらず切り捨てる。
80:20という法則がある。
重要でないことというのは、結局必要がないのである。
優先度が低く、時間が足りなくてできないことは、どんどん切り捨てる。
自然と淘汰されていく。
最も重要な部分を、全力で、確実におこなう。

いま、最優先事項だと見極めたことを、集中してやりきる。
他のことをはじめない。
邪魔をさせない。
やりきる。
その集中力と瞬発力が重要である。

 

わくわく

複数の選択肢を選ぶ際、わくわくする方を取る。

すると、わくわくすることが多くなるので、自然とうまくいくようになる。

頭で考えてばかりだと、いつの間にかがんじがらめな状況に陥ってしまうことがある。そんな状況では、自分の力は発揮されない。感覚にしたがえば、絶対にそういう状況には近づかずに済む。

たまには自分の内側の感覚に立ち返り、いまわくわくすることに囲まれているかを見直してみるといいかもしれない。

進行方向の更新

環境は、常に変化している。

あまりに長期の計画を立てると、環境の変化によっては全くの的外れな計画となってしまう。

計画の修正は常に必要だ。

思考停止して計画に従うことを目的としてしまい、本来のゴールとは違う方向に進んでしまうと、いつまでたっても理想には近づかない。

ゴールに対して、現時点で最善の一手を打つことに集中する。その一手をやり切ったら、結果を検証して、次の一手の内容を更新する。

場合によっては同じ打ち手を連打するのがベストのこともあるし、場合によってはゴールが更新されることもある。

思考停止せず、柔軟に、その時の状況に合わせた戦略が必要だ。

自己認識力

自己認識力の高い人が多い企業ほど、業績がいい。

つまり、自己認識力が高い人ほど、仕事ができる。

自己認識力を高めるには「他者からのフィードバックを受けること」と「受けたフィードバックを受け入れること」が必要である。

そのためには、普段から人とどれだけ本音でコミュニケーションを取れているかが重要である。

お世辞しか言い合えない関係では、相手から正確なフィードバックを得られないため、自己認識の歪みにつながってしまう。

言うまでもないが、人とのコミュニケーションの絶対量が少ない場合もフィードバックを得られず自己認識力は低いままとなる。

ネガティブなフィードバックもポジティブなフィードバックも正確に伝えてくれる関係性を、周りと築いていかなければいけない。

まずは「正直な感想でいいのだけれど、わたしの〇〇について実際どう思う?」という問いかけを自らすることで、正確なフィードバックを能動的に引き出す努力からはじめられたいところだ。

本音で相談をし合えるようになれば、聞かなくてもフィードバックをくれるようにもなる。

ほかにフィードバックを得る方法としては、心理テスト、自己分析、適性テストなど一人で行えるフィードバック装置を利用したり、あるいは能動的にフィードバックをし合うようなミートアップに参加したり、コーチングなどを受けてコーチから評価をもらうことなどがある。

自己欺瞞、現実逃避、思考停止などで自分の認知が歪んでいるかもしれない、と気付いた場合は、それらの自己認知を促す仕組みを利用するのもいいだろう。

しかしやはり最終的には「本音で話し合える人間関係」というオートフィードバックシステムの構築を目指したいところだ。