理想主義随筆

日々の随筆、散文

インプットの質は、アウトプットをいかに具体的にイメージできるかにかかっている

たとえば筋トレでは、何のために体を鍛えるのか。どこが鍛え足りてなくて、そこを鍛えるにはどういうメニューが必要なのか。

そこまで具体的にアウトプットをイメージできれば、インプット(腕立てなりスクワットなり)が効果的になる。

具体的でないと、漠然と必用のない筋トレメニューをすることになる。

そして、何も形のあるアウトプットは達成されない。

たとえばあるテーマについて文章を書く場合は、具体的にどんな材料が必要なのかを決め、付け焼き刃でいいので効果的に知識・情報をインプットしてまとめればいい。
仕事でのアウトプットで、なにがどのレベルで必要かなどが明確なら、もはやインプットしないで(自分の中を通さないで)外注してアウトプットとしてまとめてもいい。
まったく具体的なイメージは無いが、とにかく何かアウトプットをしたい、という状況で、いままでインプットされてきたものの中で材料を組み合わせてアウトプットをしようとする場合、かなり苦しむ。
漠然とブログを書こうと思っても既存のリソース(いままでのインプット)ではアウトプットを作り出すのには限界がある。
また逆に、漠然と本を読んでも、どの情報が重要かが分からない(決まっていない・決めていない)ので全然身につかない。アウトプットがあってはじめて、情報の重要度の色分けができ、効果的にインプットができる。

たとえばだが、子どもが職業体験をして、その仕事のアウトプットには何が必要なのかを具体的に理解したなら、その後の社会に出るまでの間に効果的にインプットを続けることができ、その職業に就くことは容易となるだろう。

物事をよく観察・分析して興味を持ち、テーマを定め、そのアウトプットに向けて意識的にインプットをすることが重要なのである。
われわれは常に、アウトプットを具体的に決める『主体性』と、編集者的感覚を持たなければならない。